モーツァルトの雑学12選!きらきら星は作曲していない
『トルコ行進曲』や『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』でおなじみのモーツァルトは、35年の生涯に600を超える作品を残した音楽史の天才です。
ただ、その名前の由来やペットの鳥にまつわる話、亡くなった後の墓や頭蓋骨の行方など、有名なわりに知られていない出来事がたくさんあります。
よく耳にする逸話の中には、後の時代に作られた作り話も混じっているようです。
そんなモーツァルトにまつわる雑学を12個ご紹介します。
1. 本名にアマデウスは入っていない
洗礼記録の名前は Joannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus で、アマデウスという形はありません。
神に愛されるという意味のTheophilusのラテン語訳がAmadeusで、普段はAmadèやGottliebを使い、Amadeusと署名したのは母への手紙の冗談1度きりとされます。
※洗礼名は「ヨアンネス・クリソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス」と読みます。
※Gottlieb(ゴットリープ)はドイツ語の名前で、Theophilusと同じ意味を持ちます。
2. 家計簿に鳥の歌を書き留めた
1784年5月27日、モーツァルトは34クロイツァーでムクドリを買います。
この鳥は店先で4月12日に完成したばかりのピアノ協奏曲第17番K.453の終楽章の旋律を、1音だけ半音高く歌っており、彼はその歌を家計簿に書き留め、1787年6月4日に死ぬと葬式を挙げたそうです。
※クロイツァーは当時のオーストリアで使われた少額の貨幣単位です。
3. きらきら星は作曲していない
「きらきら星」の旋律はもとは1740年頃のフランスの作者不明の歌で、印刷されたのは1761年のパリでした。
モーツァルトが手がけたのはこの旋律に12の変奏を付けたK.265で、英語の詞は1806年のジェーン・テイラーの詩とされ、彼が一から作った歌ではないようです。
※変奏は、もとの旋律を少しずつ形を変えて繰り返す作曲の手法です。
4. 毒殺説は後世の創作だった
サリエリの毒殺説は、1830年のプーシキンの戯曲に始まり、1897年作曲のリムスキー=コルサコフの歌劇、1979年のシェーファーの戯曲、1984年の映画『アマデウス』を通じて広まった作り話です。
死亡記録には「激しい粟粒熱」とだけあり、死因は今も分かっていません。
※粟粒熱は「ぞくりゅうねつ」と読み、高熱を伴う当時の病名です。
5. モーツァルト効果は限定的
1993年のNature誌の実験は、大学生に10分間ソナタK.448を聴かせ、紙を折って切る空間課題の成績が一時的に伸びたというものです。
伸びは10〜15分で消え、1999年の16件のメタ分析では、差はIQ換算で1.4点程度、モーツァルト固有ではなく気分の高揚によるとされます。
※メタ分析は、複数の研究結果をまとめて全体の傾向を調べる方法です。
6. 14歳で教皇から勲章を受ける
1770年、モーツァルトはシスティーナ礼拝堂で、持ち出しを禁じられていたアレグリの『ミゼレーレ』を一度聴いただけで書き取り、2日後の再演でわずかに手直ししたそうです。
これが認められ、同年7月4日に教皇クレメンス14世から黄金拍車勲章を授けられました。
※黄金拍車勲章は「おうごんはくしゃくんしょう」と読みます。
7. 下品な題名のカノンがある
「Leck mich im Arsch」、俺の尻をなめろという題の6声のカノンK.231は、1782年頃の仲間内の余興です。
1799年にコンスタンツェが原稿を送った後の出版で歌詞は楽しくやろうに差し替えられ、1991年にハーバード大学が入手した楽譜の書き込みが元の詞とみられます。
※カノンは、同じ旋律を複数の声部が追いかけるように歌う形式です。
8. 求婚の逸話は裏が取れない
1762年10月13日、6歳のモーツァルトがシェーンブルン宮殿でマリー・アントワネットと同席したのは事実です。
転んだ彼を助け起こした彼女が「大きくなったら結婚する」と言った話も有名ですが、息子のことをまめに書き残した父レオポルトはこの件に触れていません。
9. レクイエムの依頼主の思惑
匿名でレクイエムを注文したヴァルゼック伯爵は、買い取った他人の曲を自作として発表する常習犯で、亡き妻を悼むため使者を通じて依頼しました。
未亡人コンスタンツェは残金を受け取るため、未完であることと弟子ジュスマイヤーの補筆を伏せる必要がありました。
※レクイエムは、亡くなった人を悼むために歌われる宗教曲です。
10. 無縁墓地に捨てられてはいない
当時のウィーンでは貴族以外の三等葬として、市壁の外の共同墓地に目印なく埋葬するのが普通で、彼もその通りに葬られ、場所は今も分かっていません。
教師の年収が約300、高級官僚でも約800フローリンだった時代に、彼はかなり高い収入を得ていたとみられます。
※フローリンは当時使われていた通貨の単位です。
11. 頭蓋骨の真偽は不明のまま
モーツァルテウム財団が1902年から所蔵する「モーツァルトの頭蓋骨」は、本人のものか今も確かめられていません。
2006年のDNA鑑定では、比較のため掘り出した親族とされる遺骨同士にすら血縁が確認できず判定不能に終わり、偽物と証明されたわけでもない状態です。
※モーツァルテウム財団は、ザルツブルクにある彼の資料を守る団体です。
12. 直系の子孫は残らなかった
モーツァルトとコンスタンツェには6人の子が生まれましたが、幼くして亡くなる子が多く、成人したのは次男カール・トーマスと末子フランツ・クサーヴァーの2人だけでした。
この2人も子を残さず世を去ったため、直系の子孫は現在まで残っていないとされています。