メソポタミア文明の雑学10選!ハンムラビ法典は最古ではない
人類が最初に都市をつくり、文字を生み出した場所。それが、現在のイラクを流れるチグリス川とユーフラテス川にはさまれた地域で栄えたメソポタミア文明です。
学校では世界最古の文明と習いますが、調べてみると最古とされてきた常識が少しずつ書き換えられている分野でもあります。
文字の書き方から法典の順番、時間の数え方まで、意外な話がたくさん眠っています。
そんなメソポタミア文明にまつわる雑学を10個ご紹介します。
1. 最古級の文明のひとつ
現在のイラクを中心に、チグリス川とユーフラテス川にはさまれた地域で生まれた文明で、その名はギリシャ語で「川のあいだの土地」を意味します。
紀元前3500年頃には都市や文字、神殿を中心とした社会の仕組みが整い、人類が最初に築いた最古級の文明に数えられます。
ほかの文明との比較は古代文明の雑学でも紹介しています。
2. 三日月地帯は後世の命名
レヴァントからメソポタミアへ弓なりに広がる一帯は、川の水や季節の雨に恵まれ、世界でもいち早く農耕が根づいた土地でした。
ただし「肥沃な三日月地帯」という呼び名は古代からあったのではなく、20世紀初頭にアメリカの考古学者ブレステッドが名づけた言葉です。
3. 都市がそのまま国だった
ウルやウルク、ラガシュといった街では、一つの都市がそのまま政治と宗教と経済の中心となり、王と神殿がそれぞれ独立して周辺の村まで統治していました。
全体をまとめる共通の法典はまだなく、王が出す布告や土地ごとの慣習が、暮らしのルールになっていたのです。
4. 文字は刻まずに押していた
楔形文字は尖った棒で刻むと思われがちですが、実際は葦のペンの三角形をした先端を粘土板に押しつけて、くさび形のくぼみを並べていく書き方でした。
もとは商品のやり取りや税を記録するための実務的な道具で、現存する世界最古級の文字体系として知られています。
5. ハンムラビ法典は最古ではない
有名な「目には目を」の原則が使われたのは同じ身分同士の争いに限られ、相手が下層の人や奴隷であれば銀を払って償う仕組みでした。
現存する最古の法典は300年以上前につくられたウル・ナンム法典で、ハンムラビ法典は最古ではなく最もよく残った法典です。
6. 灌漑が余った食べ物を生んだ
川から水路を引く灌漑によって収穫が安定し、食べきれない余りが生まれたことで、農業以外の仕事に一日中専念できる人が現れました。
やがて職人や商人、神官といった専門職が数多く育ち、都市の規模も社会の仕組みも少しずつ複雑に変わっていくことになります。
7. 1時間60分のルーツはここ
60は2でも3でも4でも5でも割り切れて分けやすいため、シュメールでは早くから商取引や土地の測量、度量衡の単位に60進法が使われていました。
この数え方はのちのバビロニアの天文学でも大いに活躍し、1時間60分や円360度という形で現代の私たちにも残っています。
8. 木も金属もない土地だった
南部の平野は水と粘土には恵まれていた一方、建築に使う木材や石、道具になる金属をほとんど産出しない土地でした。
そのため大麦や織物を輸出して、レバノンの杉やアフガニスタンのラピスラズリを手に入れる遠距離の交易が発達し、商人が重要な役割を担いました。
9. 神殿ではなく天への階段
ジッグラトはよく巨大な神殿と紹介されますが、正しくは頂上に小さな社を載せるための階段状の基壇で、普段そこに登れるのは神官だけだったとされます。
バビロンのものは「天と地の基礎の家」と呼ばれ、神々と人の世界をつなぐ人工の聖なる山と考えられていました。
10. 終わりは紀元前539年
紀元前539年にペルシアのキュロス2世が新バビロニア王国を征服し、この地に生まれた王朝による支配は長い歴史に幕を下ろしました。
戦争や灌漑がまねいた塩害が衰えた原因に挙げられますが、楔形文字は西暦1世紀頃まで使われ、文化そのものは静かに受け継がれました。