マルコ・ポーロの雑学12選!帰りの船で生き残ったのはわずか18人

13世紀、ヴェネツィアの商人の子として生まれたマルコ・ポーロは、17歳でアジアへの大旅行に旅立ち、24年後に帰国しました。

元の皇帝クビライ・ハンに仕え、東方の文明や風習を西洋に伝えた旅人として知られています。

しかしその生涯には、意外な事実や面白いエピソードがたくさん隠れています。

そんなマルコ・ポーロにまつわる雑学を12個ご紹介します。

1. 17歳で始まった24年の旅

マルコ・ポーロは1271年、17歳のとき父と叔父に連れられ、ヴェネツィアからアジアへの大旅行に出発しました。

元の皇帝クビライ・ハンの宮廷に仕え、帰国するまでに24年の歳月が過ぎていました。旅立ったときはまだ少年でしたが、戻ったときは40代になっていたのです。

2. 「百万男」の異名と百万の嘘

マルコにはイル・ミリオーネ(百万男)というあだ名がついていました。

家名エミリオーネの略という説もありますが、大げさな話を連発したためとも言われており、東方見聞録は「百万の嘘が詰まった本」とからかわれることもあったようです。真相は謎のままです。

3. 東方見聞録は牢屋で生まれた

帰国後、マルコはジェノヴァとの海戦に参加して捕虜になってしまいます。

獄中で同室になったのが小説家のルスティケッロ・ダ・ピサで、マルコの旅の話を聞き書きしてまとめたものが東方見聞録の原型になりました。

牢屋の中から生まれたとは、何とも皮肉な話です。

4. 帰国のきっかけは姫の護衛

マルコが帰国できたのは、クビライ・ハンから「姫をペルシャへ送り届けてほしい」と頼まれたのがきっかけです。

元の皇帝に気に入られすぎて長年引き留められていたマルコにとって、この護衛任務がようやく故郷ヴェネツィアへと戻れる唯一のチャンスになりました。

5. 護衛船団、生還者はわずか18人

姫を護送する船団は600人以上で出発しましたが、嵐や疫病に何度も見舞われ、目的地のペルシャに到着したときに生き残っていたのはわずか18人でした。

長期間にわたる過酷な航海のなか、マルコたちが無事に生き延びられたのは奇跡に近いことだったといえます。

6. ジパングの正体は伝聞情報

マルコ・ポーロは東方見聞録で日本を「黄金の国ジパング」として紹介しましたが、本人は実際に日本を一度も訪れていません。

自分でも「そこへ赴いたことがない」と書き残しており、元の宮廷で耳にした話や商人からの伝聞をもとにした記述だったとみられています。

7. 紙切れがお金!中国の紙幣に仰天

13世紀のヨーロッパでは金貨・銀貨しか知らなかった人々にとって、中国で紙のお金が流通しているとは驚天動地のことでした。

マルコはその仕組みを東方見聞録で詳しく紹介し、ヨーロッパ人が紙幣という概念を知るきっかけのひとつになったと言われています。

8. ユニコーンを目撃、でも実はサイ

マルコは東方見聞録に「ユニコーンを見た」と記しています。

ただしその描写は「象のような足、バッファローのような体毛、口先に1本のとがった黒い角を持ち、泥の中を好む生き物」というもので、現代の研究者の多くはこれがサイのことだったと考えています。

9. パスタ伝来の話は後世の作り話

「マルコ・ポーロが中国から麺をイタリアへ持ち帰り、パスタになった」という話は長年にわたり広く語られてきました。

しかしパスタはマルコの旅より数百年前にはすでにイタリアに存在しており、この伝説は20世紀の広告会社が広めた誤りだという説が有力です。

10. 「まだ半分も話していない」臨終の言葉

1324年に亡くなる直前、マルコは見舞いに来た人々に「私が実際に見てきたことの半分も、まだ語っていない」と伝えたとされています。

当時ほとんど信じてもらえなかった旅の体験がいかに広大なものだったかを、その最後の言葉がよく物語っています。

11. コロンブスの愛読書は東方見聞録

コロンブスは新大陸への航海に東方見聞録を持参し、余白や行間に300か所以上の書き込みを残しました。

書き込みだらけのその本は今もスペインのセビリアに現存しており、マルコの旅の記録がコロンブスの探検心をいかに強く刺激し続けたかが伝わってきます。

12. 野生のヒツジに名前を残したマルコ

中央アジアのパミール高原に生息するアルガリというヒツジの亜種に、「マルコ・ポーロ種」という名がつけられています。

1841年に動物学者がその名を贈ったもので、マルコが旅の記録の中でこのヒツジについて詳しく記していたことがきっかけになりました。

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