マハトマ・ガンディーに関する豆知識
インド独立の父として世界中で知られるマハトマ・ガンディーは、非暴力不服従の精神で大英帝国に立ち向かい、平和的な手段で国を導いた偉大な指導者です。
1869年にインド西部の裕福な家庭に生まれた彼は、決して最初から完璧な聖人だったわけではありません。
素行の悪かった少年時代や、極度の恥ずかしがり屋で失敗続きだった若手弁護士時代など、多くの挫折を経験しました。
今回は、そんな彼に関する豆知識を12個ご紹介します。
1. マハトマは本名ではない
ガンディーの本当の名前は「モハンダス」という名前であり、私たちがよく知る「マハトマ」という呼び名は「偉大なる魂」を意味する尊称です。
この名誉ある呼び名はインドの著名な詩人であるタゴールが贈ったとされ、本人は特別扱いされるこの名前をあまり好んでいませんでした。
2. 不良少年で肉食や喫煙をしていた
非暴力や清貧のイメージが強い彼ですが、少年時代は素行が悪く、宗教で禁じられている肉食や隠れての喫煙を度々行っていました。
タバコ代欲しさに親のお金を盗むなどの大きな過ちも経験しますが、後に深く反省して父親へすべての罪を正直に打ち明けました。
3. 13歳で幼なじみと結婚した
彼は13歳の若さで、同じ年齢の幼なじみであるカストゥルバイと結婚しましたが、これは当時のインドではごく普通の風習でした。
妻が学校に通えず読み書きができなかったことや、自分が幼い頃から激しい欲望に溺れてしまった事実を、彼は後に非常に深く後悔しました。
4. 弁護士時代は極度のあがり症だった
偉大な指導者として大衆の前で堂々と演説をする姿が有名ですが、イギリスで弁護士資格を取得した当初は極度のあがり症でした。
法廷に立っても緊張のあまり言葉が出ず、依頼人の弁護ができずに終わったため、インドでの弁護士業は一度失敗に終わっています。
5. 運動の原点は南アフリカでの1等車からの追放
南アフリカへ渡った彼は、1等車の切符を持ちながらも、白人ではないという理不尽な理由で列車から放り出されました。
彼が受けたこの強烈な人種差別の体験は心に火をつけ、後にインド全土で展開される非暴力不服従運動の確固たる原点となりました。
6. 36歳から厳格な禁欲生活を始めた
若い頃の欲望への執着や父親の死に対する深い後悔から、精神的な純粋さを保つために彼は36歳で厳格な禁欲の誓いを立てました。
あらゆる欲望を厳しくコントロールし、その巨大なエネルギーを真理の探求と独立運動へと振り向けたのです。
7. 糸車は経済的自立の戦略だった
ガンディーといえば糸車を回す姿が有名ですが、これは英国から高価な綿製品を買わされる搾取の構造を断ち切るための行動でした。
自身の手で糸を紡いで布(カディ)を作り、他国へ依存しないインドの経済的な自立と人々の誇りを取り戻すために尽力しました。
8. 塩の行進で390キロも歩いた
英国政府が塩の製造を完全に独占したことへの抗議として、彼は大規模な「塩の行進」を行いました。
多くの支持者たちと約390キロの長い道を歩き抜き、海岸で自ら塩を作った事実が世界中に報じられ、独立運動の大きな転換点となりました。
9. カーストの最下層を「神の子」と呼んだ
インドのカースト制度において、最も激しく差別されていた不可触民(ダリット)と呼ばれる人々の地位向上に、彼は深く尽力しました。
彼は彼らを「神の子」という意味を持つ「ハリジャン」と呼び、差別なき平等な社会を強く訴え続けました。
10. ノーベル平和賞に5回ノミネートされるも未受賞
平和活動の偉大な象徴として称される彼ですが、実はノーベル平和賞をその生涯で一度も受賞したことがありません。
過去に5回ノミネートされながらも政治的な理由で見送られ、暗殺された1948年には「該当者なし」という形で事実上の追悼が行われました。
11. 全裸の女性と寝る「禁欲の実験」をした
彼の生涯で最も物議を醸すエピソードが晩年に行っていた実験であり、彼は自身の精神が完全に欲望を克服したかを確認しようとしました。
親族の若い女性と全裸になって同じベッドで寝る行為を「修行」だと主張しましたが、周囲からは極めて強い批判を浴びました。
12. 暗殺された際の最期の言葉は「おお神よ」だった
彼は宗教至上主義者の青年に銃弾を撃ち込まれ、78歳でこの世を去りました。
凶弾に倒れながらも自らを撃った青年に向かって静かに手を合わせ、ヒンディー語で「おお神よ」という意味の「ヘー・ラーム」という言葉を残して、深い許しの心を示しました。