キューバ危機に関する豆知識
キューバ危機は、1962年10月に米ソ間で勃発した冷戦最大の緊張状態です。
ソビエト連邦がキューバに核ミサイル基地を建設していることをアメリカが察知し、世界が核戦争の一歩手前まで追い詰められました。
わずか13日間の交渉と駆け引きの末に危機は回避されましたが、その舞台裏には驚きのエピソードが数多く残されています。そんなキューバ危機にまつわる雑学を10個ご紹介します。
1. 核戦争に最も近づいた13日
1962年10月、米ソ両国が核戦争の瀬戸際まで追い詰められたキューバ危機は、わずか13日間で解決に向かった歴史的な出来事でした。
冷戦中で最も危険な局面とされており、人類が核戦争を何とか回避できたことは奇跡のようなことだと言われているのです。
2. ケネディとフルシチョフの対決
ケネディ大統領とフルシチョフ書記長は、核戦争を回避しながら互いに譲歩を引き出す複雑な外交交渉を水面下で続けていました。
二人は直接会わず、書簡と外交チャンネルを通じた緊張した駆け引きを繰り広げ、最終的に歴史的な合意へと達することができたのです。
3. 始まりは偵察機の写真から
危機のきっかけは、U-2偵察機がキューバ上空で撮影した一枚の写真で、そこにはソ連製弾道ミサイルの発射基地が建設されている様子がはっきりと映っていました。
この写真がケネディ大統領に報告されたことで、米ソ間の緊張は一気に高まることになったのです。
4. 世界を救った男アルヒーポフ
ソ連の潜水艦「B-59」が米軍に攻撃されたと誤認した際、艦長は核魚雷の発射を命じようとしましたが、副長のアルヒーポフだけが反対して発射を阻止しました。
彼の一人の判断が核戦争を防いだとして、後に「世界を救った男」と称えられるようになっています。
5. 緊迫の海上封鎖作戦
アメリカはキューバへの海上封鎖を宣言し、ソ連の船がキューバに近づくことができないよう多数の海軍艦艇を展開させる強硬な措置をとりました。
封鎖ラインにソ連船が近づく緊迫した場面もありましたが、最終的にソ連船は引き返して全面衝突は何とか回避されたのです。
6. 火に油を注いだ誤認事件
危機の最中、アメリカのU-2偵察機がソ連領空に誤って侵入してしまうという偶発的な事件が起き、一触即発の状況をさらに悪化させてしまいました。
このような偶発的な出来事が実際に核戦争の引き金になりかねない危険性を、世界に強く印象づけることになりました。
7. 赤い電話と呼ばれたホットライン
キューバ危機をきっかけに米ソ首脳が直接連絡できるホットラインが1963年に設置されましたが、実際は電話ではなくテレタイプ通信でした。
「赤い電話」という呼び名はフィクションから広まったイメージで、実際の機器は地味なテレックス端末だったのです。
8. 黒い土曜日と呼ばれた1日
1962年10月27日は「黒い土曜日」と呼ばれ、U-2偵察機撃墜やソ連潜水艦への爆雷投下など危険な出来事が重なり、核戦争勃発の可能性が最も高まった日でした。
この日を乗り越えたことで危機は収束へ向かい始め、人類は最悪の事態を回避できたのです。
9. 危機が生んだ米ソ宇宙協力
皮肉にもキューバ危機は米ソ双方に対話の必要性を痛感させ、その後の宇宙開発や核軍縮における協力関係を築くきっかけのひとつとなりました。
極限の対立が「共存なくして未来はない」という認識を生み出し、冷戦後半の関係軟化につながったと言われています。
10. チェ・ゲバラが激怒した理由
チェ・ゲバラはソ連がアメリカに妥協してキューバのミサイルを撤去したことに激しく怒り、フルシチョフの決断を弱腰だと痛烈に批判しました。
ゲバラはたとえ核戦争になってもアメリカ帝国主義に屈するべきではないという強硬な立場を最後まで崩しませんでした。