熊野詣の雑学11選!サッカー日本代表を生んだ神の使い
かつて京の都から熊野をめざす人々の行列は、蟻が列をなす姿にたとえられ「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど、途切れることなく続いたと伝わります。
上皇から庶民まで、身分を問わず多くの人々が険しい道のりを越えて参詣した熊野は、日本の信仰の歴史の中でも特別な聖地でした。
世界遺産になった道や命懸けの修行、サッカー日本代表とのつながりまで、その話題は驚くほど多彩です。
そんな熊野詣にまつわる雑学を11個ご紹介します。
1. 上皇たちが競った熊野御幸
平安時代から鎌倉時代にかけて、上皇や法皇が熊野三山へ参る「熊野御幸」がさかんに行われました。
その回数は白河上皇が9回、鳥羽上皇が21回、後鳥羽上皇が28回とされ、後白河上皇は約34回ともいわれ、歴代の上皇の中でも最も多く足を運んだ人物だったと伝わります。
2. 道が世界遺産になった理由
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。
建物ではなく「道」そのものが登録されるのは世界的にも珍しく、巡礼路そのものが世界遺産になった例は、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラと熊野の2つだけといわれています。
3. 誓いに使われた牛王符
熊野三山の神社が参拝者へ配る「熊野牛王符」は、烏の絵で描かれた独特な縁起物のお札です。
鎌倉時代以降は約束を破らないと誓う「起請文」という誓約書にも使われ、豊臣秀吉が五大老や五奉行に、息子の秀頼への忠誠を誓わせた折にも用いられたという逸話が残ります。
4. 入れる世界遺産つぼ湯
和歌山県の湯の峰温泉にある「つぼ湯」は、実際にお湯へ入ることのできる世界遺産の共同浴場として、世界でも唯一の存在とされています。
毒を盛られて弱った小栗判官が、この湯で湯治をして生き返ったという伝説の舞台としても知られ、今も多くの湯治客が訪れています。
5. 誰でも迎えた熊野の神
熊野三山に祀られる「熊野権現」という神様は、身分の高い低いや、心身のけがれのあるなしを問わなかったとされます。
当時は珍しく女性の立ち入りを禁じる「女人禁制」も設けず、あらゆる参詣者を分け隔てなく受け入れたとされ、多くの人々の信仰を集めたと伝わります。
6. 命を懸けた補陀落渡海
「補陀落渡海」は、生きたまま小舟に乗り込み、南の海のかなたにあるという観音様の浄土「補陀落」を目指す捨身の修行です。
舟の扉は外から釘で打ちつけられて二度と後戻りできず、記録に残る全国56〜57件のうち、およそ半数がここ那智から出たものと伝えられています。
7. 絵で説いた熊野比丘尼
「熊野比丘尼」は、地獄や極楽のようすを描いた「熊野観心十界曼荼羅」という絵図を用いて日本各地を巡り歩いた女性の宗教者です。
絵を指し示しながらわかりやすく物語る「絵解き」で多くの人々に教えを広め、熊野信仰を各地へ伝える大きな役割を果たしたと伝わります。
8. 日本代表と八咫烏の縁
サッカー日本代表の胸のエンブレムでおなじみの三本足の烏「八咫烏」は、もともと熊野の神様の使いとして知られています。
1931年に日本サッカー協会のシンボルへ採用され、那智勝浦町出身の中村覚之助にちなむという説も伝わり、エンブレムは1987年から使われています。
9. 川が参詣道になった話
世界遺産に登録された熊野の参詣道の中で、「川」そのものが道として登録された、とても珍しい区間が熊野川です。
歩くだけでなく舟で下ることも参詣の一部とされ、上皇たちは本宮から新宮の速玉大社へと川を舟で下っていったと伝わり、当時の旅のようすがしのばれます。
10. 落差日本一の那智の滝
熊野那智大社の近くにある那智の滝は、落差133mを一気に流れ落ちる「直下」の「一段の滝」として、落差では日本一の高さとされています。
滝のすぐそばに建つ飛瀧神社では、社殿の中に神様の像を置かず、滝そのものをご神体としてまつっているのも大きな特徴といえます。
11. 一か月かけた熊野の旅
平安時代の熊野詣は、京都から往復およそ600km、期間にしておよそ1か月にもおよぶ、大変な労力を要する長旅でした。
平清盛も熊野へ向かう参詣の途中、切目という場所で、都で平治の乱が起きたという急報を受け取り、あわてて都へ引き返したという逸話が残されています。