福沢諭吉に関する豆知識

1万円札の顔としてお馴染みの福沢諭吉ですが、実はどのような人物か詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。

1835年に大坂の中津藩蔵屋敷で下級武士の次男として生まれました。

幼い頃に父を亡くし苦労しながらも、蘭学や英語を猛勉強して自らの道を切り開きます。

後に慶應義塾を創設し、「学問のすゝめ」を執筆するなど、日本の近代化に多大な影響を与えた大思想家で、今回はそんな彼の意外な雑学を11個ご紹介します。

1. 「天は人の上に人を造らず」はオリジナルではない

学問のすゝめで有名なこの言葉は彼の完全な創作ではなく、米国の独立宣言などを参考に意訳した文章だと言われています。

旧来の厳しい身分制度を明確に否定し、新時代の日本を生きる人々に向けて人間は皆平等に生まれてくることを説きました。

2. 日本で初めて「カレー」を紹介した

彼は安政の時代に発行した『増訂華英通語』という英語の辞書の中で、インド発祥のスパイス料理を「コルリ」という名前で紹介しました。

当時はまだ全く馴染みのない西洋の食文化でしたが、これが日本におけるカレーという食べ物に関する初めての具体的な記録です。

3. 「演説」や「討論」という言葉の生みの親

スピーチやディベートなどの西洋のコミュニケーション概念を日本に伝え、「演説」や「討論」という新しい日本語を当てはめました。

大勢の人前で論理的に自分の意見を述べて議論を交わすことの重要性を説き、新しい時代にふわさしい対話の文化を根付かせました。

4. 簿記のシステムを日本に導入した

渡米した際に学んだ近代的な複式簿記の仕組みを翻訳し、『帳合之法』というわかりやすい実用書として日本国内に出版しました。

資本主義の発展に不可欠なお金を正確に記録する技術をいち早く普及させ、日本の近代的な会計制度のしっかりとした基礎を作りました。

5. 実は居合術の達人だった

知的な学者としてのイメージが非常に強く定着していますが、若い頃から真剣に居合を学んでおりその剣の腕前はかなりのレベルでした。

多忙を極めた晩年になっても健康維持と精神鍛錬のために居合の稽古を欠かすことなく続け、生涯にわたって心から武術を愛好しました。

6. 極端なほどの酒好きだった

幼少期から酒を飲み始めて大人になってからはかなりの大酒飲みとなり、周囲の人々を驚かせるほどの量を毎日のように楽しんでいました。

健康を案じて禁酒を決意したものの代わりにビールを飲み始め、「当時はビールは酒ではない」と言い訳をして結局飲み続けたそうです。

7. 40年間も1万円札の顔だった

1984年から2024年に交代するまで、実に40年もの長い期間にわたり日本の最高額紙幣の顔として非常に立派に活躍し続けました。

日々の生活の中で長く親しまれてきたため、今でも多くの人々の心の中には1万円札といえば福沢諭吉という強い印象が深く残っています。

8. 日本に生命保険を紹介した

欧米の制度を研究し、著書の『西洋旅案内』にて「生涯請合」という言葉を用いて生命保険の合理的な仕組みを日本へ初めて紹介しました。

万が一の事態に備えて皆でお金を出し合い助け合うという、当時はまだ全く新しかった画期的な相互扶助のシステムをいち早く伝えました。

9. 女性の権利向上を強く訴えていた

男尊女卑の古い風潮が色濃く残る当時の日本で、男女は平等であるべきだと主張して女性の自立や社会進出を力強く後押ししました。

『新女大学』などを執筆して女性にも高度な教育が不可欠であると説き、近代的な家族のあり方や権利の向上に大きく貢献したのです。

10. 様々な英単語を日本語に翻訳した

「権利」や「自由」など、私たちが現在ごく自然に使っている熟語の多くは彼が英語から的確に翻訳して日本国内に定着させたものです。

西洋の新しい概念を皆が理解しやすいように漢字の組み合わせを工夫し、国の近代化という大きな変化を言葉の面から力強く支えました。

11. 座右の銘は「独立自尊」

他人の力に決して依存せず自分自身の尊厳をしっかりと守り抜いて生きていくという言葉は、彼の生涯を貫く非常に重要な基本哲学でした。

個人が独立してこそ国家も独立できるという教えは慶應義塾の教育の柱となり、現代を生きる私たちにも大きな勇気を与えてくれます。

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