フビライハンの雑学11選!象に乗って鷹狩りをした皇帝

チンギス・ハンの孫として生まれ、モンゴル帝国の第5代皇帝、そして元の初代皇帝となったフビライハン。

日本に元寇を仕掛けた人物として知られていますが、実は今の北京のもとを築き、紙幣を世に広め、新しい文字まで作らせるなど、その素顔は意外と知られていません。

晩年は肥満や痛風に苦しみ、家族の死に涙する人間らしい一面もありました。

そんなフビライハンにまつわる雑学を11個ご紹介します。

1. 国名の由来は古典の一節

1271年、フビライは国号を「大元」と定めました。

これは土地の名前ではなく、古い経典『易経』の「大哉乾元(おおいなるかな、けんげん)」という一節から採られたもので、地名を使うのが普通だった中国の王朝名としては、とても珍しい付け方だったといわれています。

2. 今の北京はフビライの都

フビライは1267年ごろから、かつて金の都があった場所の近くで、新しい都・大都(だいと)の建設を始めました。

この大都が現在の北京のもとになっており、世界有数の大都市の原点にモンゴル帝国の皇帝がいたと考えると、なんだか不思議な気がしてこないでしょうか。

3. 夏の都は桃源郷の代名詞に

フビライが夏を過ごした草原の都・上都は、英語では「ザナドゥ」という美しい響きで呼ばれます。

マルコ・ポーロの記録を通じて西洋に伝わり、のちにイギリスの詩人コールリッジが幻想的な詩に描いたことで、桃源郷のような理想の地を指す言葉として広まりました。

4. 負けたのは日本だけじゃない

フビライの遠征失敗というと日本への元寇がとても有名ですが、実はベトナムには3回も攻め込んでいずれも退けられ、ジャワ島への遠征も成功とはいえない結果に終わりました。

ベトナムでは日本のときと同じように、暴風雨で船団が大きな被害を受けたこともあります。

5. 紙のお金を国の基本にした

フビライは交鈔(こうしょう)と呼ばれる紙幣を、巨大な帝国の基本のお金として広く流通させました。

金属のお金が当たり前だった時代に、ただの紙きれが堂々と通貨として使われる様子は、あのマルコ・ポーロが驚きとともに書き残すほど珍しい光景だったようです。

6. 新しい文字を作らせた皇帝

フビライはチベット仏教の高僧パクパに命じて、パスパ文字というまったく新しい文字を作らせました。

モンゴル語も中国語も一つの文字で書き表そうという壮大な試みでしたが、人々にはあまり広まらないまま、元の王朝が滅びるとともに少しずつ姿を消していきました。

7. 晩年は肥満と痛風に苦しむ

肉や乳製品中心の食事とお酒をこよなく愛したフビライは、晩年はひどい肥満体になり、痛風(足などの関節が激しく痛む病気)にも悩まされました。

歩くのも難しいほどだったと伝えられ、広大な世界帝国を築いた英雄も、健康の悩みとは無縁でいられなかったようです。

8. 最愛の家族を相次いで失う

フビライは晩年、最愛の妻チャブイと、後継ぎとして大切に育てた息子チンキムに相次いで先立たれました。

深い悲しみから過食とお酒の量がさらに進んだといわれており、世界の大部分をその手にした皇帝も、家族を失う悲しみにだけは勝てなかったのかもしれません。

9. 皇后はやり手の投資家だった

妻のチャブイは、有能な商人を自分の側近として集めて資産運用を積極的に行い、皇后という立場でありながら自らの力で財産を築いた人物でした。

むだづかいを嫌う倹約家としても知られており、夫のフビライに意見できる数少ない存在だったとも伝えられています。

10. 帝位は弟との戦争で獲得

兄のモンケが亡くなると、フビライは弟アリクブケと後継ぎの座をめぐって争い、モンゴル帝国を二分する内戦を約4年にわたって戦いました。

勝利して皇帝の座をつかんだものの、この兄弟げんかをきっかけに、帝国のまとまりは少しずつ緩んでいったといわれています。

11. 象に乗って鷹狩りを楽しむ

フビライは狩り、とくに鷹狩りが大好きで、4頭の象に載せた豪華な専用の輿(こし)に乗って狩りに出かけたと『東方見聞録』に記されています。

同書には300羽ものハヤブサを飼っていたとも書かれており、その桁外れのスケールはまさに皇帝級といってよさそうです。

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