則天武后の雑学12選!墓を守る石像61体は全部首なし

則天武后は、中国の長い歴史の中でただ一人、女性でありながら皇帝の位に就いた人物です。

14歳で後宮に入ってから権力の頂点にたどり着くまでの道のりは、密告や粛清をともなう激しいものでした。

その一方で、自分のために新しい漢字を作らせたり、高さ80メートルを超える建物を建てさせたりと、やることの規模も桁外れです。

日本の国号にまつわる意外な接点も残されています。そんな則天武后にまつわる雑学を12個ご紹介します。

1. 親子二代の後宮に入る

則天武后は14歳ごろに2代皇帝の太宗の後宮へ入り、太宗が亡くなると慣例にしたがって都の外の寺へ移り、髪をおろして尼として暮らしはじめました。

しかしその後、太宗の息子である3代皇帝の高宗にふたたび宮中へ召し戻され、655年には皇后の座にまで上りつめています。

2. 自作の漢字が日本に残る

皇帝の位に就くとき、自分の名を武照から武曌へと改め、ほかにも新しい漢字をいくつも作らせて国じゅうで使わせました。

これらの文字は唐の世に戻ると使われなくなりましたが、そのうちの一つである圀の字は、水戸藩主の徳川光圀の名前として今も日本に残っています。

※「曌」は空の上に日と月を並べた字です。

3. 日本と名乗った使節を迎える

702年に日本を出発した遣唐使は、それまで中国側が使っていた倭という呼び名ではなく、日本という国号を自分たちから名乗ったと伝えられています。

このとき中国を治めていたのが則天武后であり、以後の中国側の記録にも日本という名が見られるようになりました。

4. 墓を守る石像は全部首なし

陝西省にある乾陵の参道には、各地から訪れた使者をかたどった61体の石像が並んでいますが、そのすべてが首から上を失っています。

1556年に起きた大地震で折れたという説が有力とされ、1974年には近くの畑から像のものとみられる石の頭がいくつも見つかりました。

5. 文字のない不思議な石碑

乾陵に立つ高さ7メートルほどの巨大な石碑には、本来なら刻まれているはずの碑文が一文字も見当たりません。

功績が大きすぎて言葉では書き切れなかったという説や、自らの評価を後の世に委ねたという説などが語られていますが、はっきりした理由は分かっていません。

6. 請君入甕という言葉の由来

691年、謀反を密告された役人の周興は、同僚の来俊臣から白状しない囚人はどう扱えばよいかとたずねられ、

大きな甕に入れて周りから炭火であぶればよいと得意げに答えました。するとその場に甕が運びこまれ、来俊臣からどうぞお入りくださいと迫られたと伝わります。

※「甕(かめ)」は水などを入れる大きな器です。

7. 誰でも使える密告箱

686年、則天武后は洛陽の宮城の前に銅匭という銅製の投書箱を置き、身分の高い低いにかかわらず誰でも訴えや密告を投げこめるようにしました。

集まった情報は酷吏と呼ばれる取り調べ役の手に渡り、自分に反対する勢力を次々と追い落とすための道具としても使われています。

※「銅匭(どうき)」は投書口が四つある箱です。

8. 元号を次々に変えた皇帝

皇帝として過ごした15年ほどの間に、天授や如意といった14もの元号を使い、ほぼ毎年のように改元を繰り返しました。

めでたい前ぶれが現れるたびに年号を改めたためで、同じ年のうちに二度も変えたことがあるほどで、歴代の皇帝でも群を抜く多さだといわれています。

9. 祖父の仇に仕えた才女

上官婉児の祖父は、則天武后を皇后の座から降ろすための文書を書いたことが知られて処刑され、婉児自身も母とともに宮中の奴婢の身分に落とされました。

それでも文才を見いだされて皇帝の言葉を文書にする役目を任され、やがて巾幗宰相と呼ばれるまでになっています。

fffffffffffff※「巾幗宰相(きんかくさいしょう)」は女性の宰相という意味です。

10. 化粧代を大仏に寄付する

洛陽の龍門石窟にある高さ17メートルほどの盧舎那仏は、則天武后が自分の化粧代にあたる2万貫を寄進したことで、675年に完成したと伝えられています。

おだやかなその顔立ちは彼女をモデルにしたという言い伝えもありますが、確かな裏づけはないと考えられています。

11. 高さ86メートルの木造建築

洛陽の宮城内に建てさせた明堂という建物は、記録によれば高さが294尺、今の単位に直しておよそ86メートルもある巨大なものでした。

687年に工事を始めてからわずか1年ほどで完成させたと伝えられ、当時としては群を抜く高さの木造建築だったと考えられています。

12. 82歳まで生きた長寿の皇帝

705年、病に伏していたところを臣下たちのクーデターによって退位に追いこまれ、その年の暮れに数えで82歳の生涯を静かに閉じました。

当時の平均寿命は40歳前後といわれており、80歳を超えるのはきわめてまれなことで、歴代の皇帝の中でも屈指の長寿にあたります。

コメントを入力