秦に関する豆知識

中国史上、最も強烈なインパクトを残した王朝といえば「秦」ではないでしょうか。
わずか15年という短命な帝国でありながら、現代の私たちの生活や言葉にまで大きな影響を与え続けています。

「馬鹿」という言葉の意外な由来や、世界的な呼び名である「チャイナ」の語源など、知れば誰かに話したくなる雑学が満載です。

今回は、謎に包まれた始皇帝の野望から驚きの歴史的エピソードまで、秦にまつわる面白い雑学を厳選してご紹介します。

1. 始皇帝が名乗った「皇帝」の称号

始皇帝は戦国時代を勝ち抜き、中国史上初めて全土の統一を成し遂げました。

彼は三皇五帝という伝説の聖人から二文字を取り、唯一無二の存在として「皇帝」という称号を自ら造作し、王を越える絶対的な権威を後世にまで続く形で確立したのです。

2. 文字・通貨・度量衡の全国統一

バラバラだった文字や貨幣、重さや長さの単位を一つに統合することに成功しました。

小篆という書体を公用とし、半両銭という貨幣を流通させることで、経済や情報の流通をスムーズにし、広大な帝国を効率よく管理する基盤をより盤石に整えたのです。

3. 中央集権を加速させた郡県制の導入

血縁者に土地を分け与える封建制を廃止し、全国を郡と県に細かく分けました。

中央から派遣された官吏が直接統治を行う仕組みを作り、皇帝の意志が末端の地方まで確実に届くような、現代の行政機構にも通じる画期的なシステムを構築したのです。

4. 法家思想に基づいた厳格な法治国家

儒教のような徳による政治ではなく、法律によって人々を厳格に律する道を選びました。

功績には報酬を出し、罪には容赦ない刑罰を与えることで、国家の秩序を徹底的に維持し、長年の戦乱で荒廃した社会を力強く統制することに大きく成功したのです。

5. 「China」の語源は秦からだった

現在の中国を指す「China(チャイナ)」という言葉は、実は秦が由来です。

秦(Qin)という音がシルクロードを経由して西方へと伝わり、ラテン語の「Sina」へと変化した結果、現在の英語名であるチャイナへと繋がったという説が有力です。

6. 権力争いから生まれた「馬鹿」の語源

二世皇帝の時代、権力者の趙高が鹿を「馬です」と言って強引に献上しました。

これを若い皇帝が信じた、あるいは異を唱える者を炙り出した逸話が「指鹿為馬」であり、これが道理に合わない愚かな人を指す「馬鹿」という言葉の由来の一つとされます。

7. 統一帝国としての秦はわずか15年

始皇帝が悲願の中国統一を達成してから滅亡するまで、わずか15年という短さでした。

過酷な労働や厳しい法による統治への不満が爆発し、始皇帝の死後に各地で反乱が次々と起き、項羽や劉邦らによって巨大な帝国はあっけなく崩壊してしまったのです。

8. 国境を守るための万里の長城の完成

北方から侵入する遊牧民族を防ぐため、戦国時代の国々が築いていた城壁を繋ぎ合わせました。

何十万人もの労働力を投入して大規模な修復と連結を行い、現在の世界遺産の原型となる、世界最大級の巨大な防衛システムを当時の技術力で完成させたのです。

9. 豪華絢爛な伝説を残す巨大な阿房宮

始皇帝は自身の強大な権力を象徴するために、空前絶後の規模を誇る大宮殿を建設しました。

あまりに巨大だったため未完成に終わりましたが、項羽による放火で激しく炎上した際、その火は三ヶ月も消えることなく燃え続けたという壮絶な伝説が残っています。

10. 不老不死を求めた徐福の東方派遣

死を恐れた始皇帝は、方士の徐福に命じて仙薬を探すため東方の海へと送り出しました。

徐福は三千人の若者を引き連れて平原広沢(日本)に辿り着き、そのまま定住したという伝説が、和歌山県など日本の各地にあるゆかりの地に今も大切に残っています。

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