サツマイモの雑学12選!焼き芋の甘さは70〜75℃で決まる
焼き芋の甘い香りに、思わず足を止めたことはありませんか。
ホクホクした食感と自然な甘さで親しまれているサツマイモですが、ふるさとは遠く離れた中南米です。
海を越えて琉球や薩摩に伝わり、飢饉から人々を救い、やがて焼酎や燃料、さらには宇宙実験の材料にまでなりました。
身近な食べ物でありながら、たどってきた道のりは驚くほど長いのです。
そんなサツマイモにまつわる雑学を12個ご紹介します。
研究にもとづく項目には出典を添えています。
日本にたどり着くまでの長い旅
中南米で生まれたサツマイモは、いくつもの海と人の手を経て日本にやってきました。
まずは、その長い旅と、芋を広めた人々の物語からたどってみます。
1. 人より先に海を渡った説
サツマイモの原産地は中南米ですが、ヨーロッパの人々が太平洋へ来る前から、ポリネシアで栽培されていました。
オックスフォード大学などのゲノム解析では、ポリネシアの系統が南米の品種と少なくとも11万1500年前に分かれたと推定され、種子が海流や鳥に運ばれてたどり着いた可能性が示されています。
一方、2020年のDNA研究は、1200年ごろにポリネシアの人々と南米の先住民が接触したことを示し、人が運んだという見方も残ります。
どちらの説も決め手を欠き、議論は続いています。
出典:オックスフォード大学などの研究チーム(Current Biology、2018年)
2. 琉球へ芋を運んだ役人
1605年、琉球の進貢船で中国の福州へ渡った野國總管が、現地で甘藷の苗を鉢植えにして持ち帰りました。
郷里の野国村、いまの嘉手納町で栽培を始めたのが、琉球でのサツマイモの出発点とされています。
野國總管というのは個人名ではなく役職にもとづく呼び名で、本名は分かっていません。
その後、儀間真常が栽培法を習って各地へ伝え、およそ15年で琉球全域に広まりました。
やせた土地でもよく育つため、飢饉を防ぐ大きな支えになったといわれています。
※「甘藷(かんしょ)」はサツマイモのことで、「進貢船(しんこうせん)」は中国へ貢ぎ物を運ぶために出された船です。
3. 神社に祀られた船乗り
1705年、薩摩の山川に住む前田利右衛門という船乗りが、琉球から芋を持ち帰って広めたとされています。
漁師だったとも伝えられ、その人物像には分かっていない部分も残ります。
のちに琉球へ渡る途中で遭難して亡くなり、村人が供養堂を建てて弔いました。
これが起源となって1897年に徳光神社が建てられ、いまも指宿市に残っています。
墓碑には「唐薯殿」と刻まれており、鹿児島では現在も「からいも」と呼ぶ人が少なくありません。
※「唐薯(からいも)」は、唐すなわち中国から渡ってきた芋という意味の呼び名です。
4. 甘藷先生と呼ばれた学者
儒学者の青木昆陽は、1732年の享保の大飢饉をきっかけに、飢饉への備えとしてサツマイモの栽培を幕府へ進言しました。
小石川御薬園での試作は一度失敗しましたが、二度目で成功し、1735年には栽培法をまとめた『蕃薯考』を著しています。
こうした働きから、人々に「甘藷先生」と呼ばれるようになりました。
晩年は目黒に居を構え、生前に自分で「甘藷先生墓」と刻んだ寿塔を建てています。
その墓は目黒不動として知られる瀧泉寺に現存し、国の史跡に指定されています。
※「寿塔(じゅとう)」は生前に自分で建てるお墓のことです。
『蕃薯考(ばんしょこう)』はサツマイモの栽培法を説いた書物です。
植物としての素顔と甘さのしくみ
毎日のように口にしていても、サツマイモが何の仲間で、なぜ甘くなるのかは意外と知られていません。
ここでは植物としての顔と、台所で役に立つしくみを見ていきます。
5. 花はアサガオそっくり
サツマイモはヒルガオ科サツマイモ属で、アサガオのごく近い親戚にあたります。
ただし気温が高く日の短い条件でないとつぼみがつきにくく、日本では沖縄など一部を除いてめったに花が咲きません。
本州で花が咲くのは、とても珍しいこととされています。
咲いた花はアサガオを小さくしたような姿で、淡いピンク色の花びらの中心が濃い紫色に染まります。
土の中の芋ばかり見ている作物にも、こんな華やかな一面があるのです。
6. 焼き芋が甘くなる温度
生のサツマイモには、甘みのもとになる麦芽糖がほとんど含まれていません。
加熱されておよそ70℃ででんぷんが糊化すると、β-アミラーゼという酵素がそれを麦芽糖へ変えていきます。
この酵素は75〜80℃でほとんど働かなくなるため、70〜75℃という狭い温度帯をどれだけ長く保てるかが甘さを左右します。
石焼き芋は熱した石でゆっくり温度が上がるので、この温度帯に長くとどまります。
電子レンジは一気に加熱されて酵素の働く時間がほとんどなく、焼き芋ほど甘くなりにくいのです。
※「β-アミラーゼ」はでんぷんを糖に分解する酵素です。
「糊化(こか)」は、でんぷんが水と熱でやわらかく変化することをいいます。
出典:農研機構などの研究チーム(日本食品科学工学会誌、2014年・2017年)
7. 冷蔵庫に入れると傷む
サツマイモは熱帯生まれで寒さに弱く、およそ9〜10℃を下回ると低温障害を起こして傷みやすくなります。
家庭用の冷蔵庫は庫内が10℃以下になることが多いため、保存場所としては向いていません。
貯蔵に適しているのは13〜15℃くらいで、新聞紙に包んで風通しのよい冷暗所に置くのがよいとされています。
買ってきた袋のまま冷蔵室へ入れてしまうと、思っていたより早く傷んでしまうかもしれません。
8. おならが出やすいわけ
サツマイモを食べるとおならが出やすくなるのは、消化されにくいでんぷんや食物繊維が大腸まで届き、腸内細菌に分解されるときにガスが生まれるためです。
ただし、においのもとになるタンパク質由来のガスは少ないため、においは比較的おだやかだとされています。
また、切り口からにじむ白い液はヤラピンという成分で、整腸作用が期待されると農林水産省も紹介しています。
おならが増えるのは、腸がよく働いているしるしとも言えそうです。
※「ヤラピン」は、サツマイモの切り口からしみ出す樹脂のような成分です。
意外なところで活躍する芋
サツマイモの出番は、食卓の上だけではありません。
江戸の屋台から戦時中の工場、そして宇宙まで、思わぬ場所に顔を出しています。
9. 十三里と呼ばれた洒落
江戸では1793年に本郷の木戸番屋が焼き芋を売り出したのが始まりとされ、大流行しました。
看板には、味が栗にわずかに及ばないという洒落で「八里半」と書かれていたそうです。
やがて栗を「九里」に見立て、「よりうまい」の「より」を「四里」と読ませて足し合わせた「十三里」という呼び名が広まりました。
1832年の『江戸繁昌記』には、一冬で一軒あたり20〜100両を売り上げたと記されています。
この語呂から、1987年に川越いも友の会が10月13日を「さつまいもの日」と定めました。
※『江戸繁昌記(えどはんじょうき)』は、当時の江戸の風俗をいきいきと描いた書物です。
10. 収穫の半分は焼酎行き
鹿児島県はサツマイモの収穫量が日本一ですが、その使い道を見ると少し意外です。
令和6年産では焼酎用が約51%を占め、続いてでん粉原料用が約17%、加工食品用が約16%となっています。
八百屋やスーパーに生のまま並ぶ青果用は、わずか約14%にすぎません。
つまり日本一の産地で採れた芋の半分ほどは、食べられるのではなく飲まれている計算になります。
11. 戦時中は燃料になった
1937年にアルコール専売法が定められ、国営のアルコール工場13カ所のうち11カ所が、サツマイモの主な産地に置かれました。
芋から作ったアルコールをガソリンに混ぜて燃料にするためで、戦争末期には航空機用の比重が高まっていきます。
ただし必要な芋の量は多く、無水アルコールを1石つくるのに芋330貫が使われました。
畑の広さにすると、およそ1反分にあたります。
※「1石」は約180リットル、「330貫」は約1.2トン、「1反」は約10アール、およそ1000平方メートルです。
12. 宇宙でも根を出した芋
NASAの支援を受けたアメリカのタスキーギ大学のチームは、長期の宇宙滞在に向く作物としてサツマイモを研究してきました。
狭い場所でも収量が多く、炭水化物が豊富なことが理由です。
1999年7月のスペースシャトル・コロンビアの飛行では、茎の挿し木を宇宙へ持ち込み、重力のほとんどない環境でも根が出るかを確かめる実験が行われました。
その結果、微小重力のもとでも根を出すことが確認され、挿し木を宇宙で発根させた試験としては初めてとされています。
出典:タスキーギ大学などの研究チーム(Journal of the American Society for Horticultural Science、2008年)
まとめ
サツマイモは中南米から海を渡って琉球や薩摩に伝わり、青木昆陽らの働きで飢饉を防ぐ作物として日本に根づきました。
焼き芋が甘いのは70〜75℃という狭い温度帯で酵素がでんぷんを糖に変えるからで、寒さに弱いため冷蔵庫での保存は向きません。
そして日本一の産地で採れた芋は、半分ほどが焼酎になります。
こうして並べてみると、サツマイモは人が困った場面でくり返し呼び出されてきた作物だと分かります。
食べ物が足りなければ主食に、燃料が足りなければアルコールにと、役割を変えて応えてきたのです。
次に焼き芋を手にしたときは、その長い働きぶりを少し思い出してみてください。