梨の雑学12選!二十世紀梨はゴミ捨て場で拾われた

秋になると当たり前のように売り場に並ぶ梨は、身近すぎて立ち止まって考えることの少ない果物かもしれません。

けれど少し掘ってみると、ゴミ捨て場から生まれた名品種があったり、放射線で病気に強くした梨があったり、花粉の輸入が止まって産地が慌てた話が出てきたりします。

あの一玉の裏には、百年を超える試行錯誤と、驚くほど細かい手作業が積み重なっているのです。

そんな梨にまつわる雑学を12個ご紹介します。

研究にもとづく項目には出典を添えています。

梨の品種に隠された物語

いま店先に並ぶ品種は、どれも偶然と執念の産物です。

まずは名前の裏側にある物語から見ていきます。

1. ゴミ捨て場生まれの名品種

いまも親しまれている二十世紀梨は、育種家が計画的に生み出したものではありません。

1888年、千葉県松戸の大橋村で、当時13歳だった松戸覚之助が、親類の家のゴミ捨て場に芽を出していた苗木を見つけて自宅へ移したのが始まりと伝えられています。

実がなったのは10年後の1898年。

覚之助は「新太白」と名づけましたが、1904年に「二十世紀を代表する品種になってほしい」という願いを込めて改名されました。

偶然拾われた一本の苗が、時代の名を背負うことになったわけです。

2. 放射線が救った二十世紀梨

二十世紀梨は黒斑病という病気に弱く、産地は長く苦しめられてきました。

そこで放射線育種場では、1962年から二十世紀の苗木にガンマ線を弱く当て続ける試験が行われます。

19年後の1981年、線源にいちばん近い木で病気の症状が出ない枝が見つかり、これをもとに1990年に「ゴールド二十世紀」が生まれました。

放射線を使った突然変異育種は各国で長く行われてきた手法で、私たちの食卓にのぼる作物にも意外と多く使われています。

※「黒斑病(こくはんびょう)」は、葉や果実に黒い斑点ができるカビの病気です

出典:農研機構 放射線育種場「ゴールド二十世紀」

3. 名前の由来が覆った新高

新高という梨は、新潟の「天の川」と高知の「今村秋」を掛け合わせたとされ、両県から一字ずつ取って1927年に名づけられました。

ところが2008年、農研機構がDNAマーカーで55品種の来歴を調べたところ、新高の親は今村秋ではなく神奈川原産の「長十郎」だと推定されたのです。

この調査では55品種のうち12品種で、これまで伝えられてきた親と食い違う結果が出ています。

名前の由来には別の説もあり、いまも定説とは言い切れません。

※「DNAマーカー」は、親子鑑定にも使われる遺伝情報の目印です

出典:農研機構「S遺伝子およびSSRマーカー解析によるニホンナシ55品種の来歴の確認」(2008年)

4. 本国で消えたラ・フランス

洋梨の代表格ラ・フランスは、1864年にフランスのクロード・ブランシェが見つけた品種です。

ところが本国では気候が合わず、1900年代初頭には栽培がほとんど途絶えたとされています。

日本に入ってきたのは1903年で、当初は食用ではなく受粉用の木としてでした。

しかも「ラ・フランス」は日本での呼び名で、フランスでの品種名は発見者にちなむ Claude Blanchet。

本国で忘れられた梨が、遠い日本で名前ごと生まれ変わった形です。

梨の味と実りのふしぎ

あのシャリシャリした食感も、冷やすと甘くなる感覚も、ちゃんと理由があります。

梨のからだのしくみを覗いてみましょう。

5. シャリシャリの正体は石細胞

和梨をかじったときのシャリシャリした粒感は、「石細胞」と呼ばれる硬い細胞のかたまりによるものです。

ペントサンやリグニンという成分がたまり、細胞の壁が厚く硬くなったもので、洋梨のなめらかな舌ざわりとの違いはここから生まれます。

石細胞は消化されにくく、腸のぜん動運動を促すとされ、食物繊維に近い働きをすると考えられています。

※「ぜん動運動」は、腸が中身を先へ送り出す動きのことです

出典:JAグループ「とれたて大百科」

6. 洋梨だけが追熟を要する理由

和梨は木の上で熟してから収穫するので、買ってきたら早めに食べるのが基本です。

一方の洋梨は、収穫した時点で果肉にデンプンが残っており、そのままだと硬く甘みも感じにくい状態です。

そこで収穫後に10日ほど4度前後で冷やし、その後は20度くらいの場所に置きます。

するとデンプンが糖に変わり、硬いペクチンも溶けやすい形になって、あのとろける口当たりになります。

追熟は手間ではなく、洋梨に欠かせない仕上げの工程なのです。

7. 冷やすと甘くなるのは本当

梨を冷やすと甘く感じるのは、気のせいではないようです。

果糖には形の違う二つの型があり、低い温度では甘みの強いβ型が増え、弱いα型が減るとされています。

その差は3倍ほどという説明もあります。

梨は果糖を多く含むため、この変化がはっきり出る果物のひとつです。

食べる2、3時間前に冷蔵庫へ入れておくと、同じ一玉でも印象が変わります。

※「β型」「α型」は、同じ果糖でも分子の形が少し違うものを指します

出典:日本植物生理学会「みんなのひろば」

8. 自分の花粉では実らない木

梨の多くの品種は「自家不和合性」といって、自分の花粉では実を結びません。

そのため産地では、花の時期に別の品種の花粉を人の手でつけていきます。

埼玉県東松山市の資料によれば、綿棒で花ひとつずつに3回ほど受粉させ、この作業が2週間ほど続くそうです。

さらに袋かけは1軒あたり1万6000個から2万個ほど。

熟練者でも30分で100個ほどというペースだといいます。

店頭に並ぶ一玉の裏には、気の遠くなる手作業が隠れています。

出典:東松山市「梨づくりの1年」

数字と言葉から見える梨

視野を広げると、梨は産地の事情や国ごとの言葉遊びとも結びついています。

最後は現実的な話と文化の話を並べてみます。

9. 花粉の輸入が止まった年

その受粉に使う花粉を、日本の産地は輸入品に頼ってきました。

ところが2023年8月、中国で火傷病という細菌の病気が確認され、なしやりんごの花粉の輸入が止まります。

火傷病は有効な防除法がなく、感染すると周囲の健康な木まで伐採が必要になるため、水際で防ぐしかない相手です。

日本国内での発生報告はありませんが、産地では花粉を自分たちで採る体制づくりが急ぎ進められています。

※「火傷病」は「かしょうびょう」と読みます

出典:農林水産省、千葉県(2023年)

10. 世界の梨と日本の現在地

梨を世界地図で眺めると、中国の存在感が際立ちます。

2024年の中国の生産量はおよそ2098万トンで、2位アルゼンチンの約67万トンの30倍以上。

日本は11位あたりに位置します。

国内に目を向けると、令和7年産の日本なしの収穫量は16万7900トン、栽培面積は9550ヘクタールで、どちらも前年から3パーセント減りました。

産地は千葉、茨城、栃木、福島、鳥取の上位5県で全国の約5割を占めています。

出典:GLOBAL NOTE(2024年)、農林水産省「令和7年産日本なし、ぶどうの栽培面積、結果樹面積、収穫量及び出荷量」

11. 中国で梨を分けない理由

中国では、ひとつの梨を切り分けて誰かと食べるのは避けたほうがよい、と言われることがあります。

梨を分けるという言い方が「分梨」となり、別れを意味する「分離」とまったく同じ発音になるためです。

恋人や家族の間ではとくに気にされ、贈り物にも選ばれにくいそうです。

音を縁起に結びつける感覚は、日本の言葉遊びにも通じます。

※「分梨」も「分離」も、中国語ではフェンリーと発音します

12. 「無し」に重ねられた梨

日本では梨が「無し」と音で重なるため、庭に植えるのを避ける風習があったと伝えられます。

一方で、鬼門の方角にあえて植えて「鬼門無し」と読み替える、逆手に取った使い方もありました。

返事がないことを指す「梨の礫」も、投げた礫が返らないことに「梨」を「無し」で掛けた語呂合わせです。

嫌ったり味方につけたりと、扱いが分かれるのが面白いところです。

※「礫(つぶて)」は、投げるための小石のことです

まとめ

二十世紀梨がゴミ捨て場の苗から始まったこと、その弱点をガンマ線を使った育種が補ったこと、そして梨の多くが自分の花粉では実らず、綿棒での受粉と何万個もの袋かけに支えられていること。

今回調べていて印象に残ったのは、梨がとても手のかかる果物だという事実でした。

名前の由来が後の解析で覆ったり、花粉の輸入が止まって産地が動いたりと、話が現在進行形で更新されているのも面白いところです。

次に梨をかじるときは、あのシャリシャリの正体が石細胞であることだけでも思い出してみてください。

味の感じ方が少し変わるかもしれません。

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