麻雀の雑学12選!中国では36年間禁止だった
麻雀と聞くと、煙たい雀荘や賭け事のイメージが浮かぶかもしれません。
でも少し調べてみると、生まれたのが意外と最近だったり、日本に届いたのが明治の終わりだったり、私たちが毎日使っている言葉の出どころだったり、海外ではまったく別のゲームだと思われていたりと、卓を囲んだことがない人でも驚くような話が次々に出てきます。
そんな麻雀にまつわる雑学を12個ご紹介します。
研究にもとづく項目には出典を添えています。
麻雀が生まれるまでの歴史
まずは麻雀という遊びがどこで生まれ、どうやって日本にたどり着いたのかを見ていきます。
私たちが当たり前だと思っているルールにも、実はかなり新しいものがあります。
1. 麻雀が生まれたのは幕末
麻雀は中国4000年の歴史を持つ遊びだと思われがちですが、今の形になったのは意外と最近のことです。
清の同治年間、西暦でいうと1862年から1874年ごろに、寧波の陳魚門という人物が古いカードゲームと骨牌を組み合わせて完成させた、という説が有力とされています。
日本でいえば幕末から明治のはじめにあたる時期です。
もとになった遊びはずっと古くからありましたが、麻雀という組み合わせ自体は坂本龍馬とほぼ同じ時代に生まれたことになります。
※「陳魚門(ちんぎょもん)」は清の役人で、寧波は中国浙江省の港町です
※中国では「麻雀」ではなく「麻将」と書くのが一般的です
2. 日本に来たのは明治の終わり
日本の記録に残るいちばん古い麻雀牌の伝来は1909年で、名川彦作という人物が清から持ち帰ったものとされています。
同じ年に夏目漱石が『満韓ところどころ』で大連の賭け事に触れていますが、これは別の遊びだった可能性も指摘されています。
麻雀が広く遊ばれるようになったのは関東大震災のあとで、当時の文学者たちが夢中になりました。
1929年に日本麻雀連盟ができたときの初代総裁は、芥川賞と直木賞を創設したことで知られる作家の菊池寛でした。
3. リーチは日本生まれのルール
あと1枚で上がれる状態を宣言する立直、いわゆるリーチは、日本式の麻雀にしかない役です。
英語のreachが語源だと思っている人は多いのですが、麻雀の歴史をたどる立場からはこの説は否定されています。
もとは旧満州で遊ばれていたルールが引揚者を通じて伝わったという説があり、1952年に天野大三が報知新聞で提唱したルールをきっかけに全国へ広まりました。
日本式は今では海外にも愛好者がいて、2014年にはフランスでリーチ麻雀の世界選手権が開かれています。
4. 牌の絵柄はどれもお金
麻雀牌の数牌は3種類ありますが、もとをたどるとどれもお金がモチーフだといわれます。
萬子は万貫という金額の単位、筒子は穴の空いた銅銭そのものの形、索子はその銅銭をまとめて通した紐を表しているという説です。
つまり卓の上に並んでいるのは、ほとんどが昔の中国のお金というわけです。
ただし一索だけは絵柄が変化した結果として鳥になり、なぜ鳥に落ち着いたのかは今もはっきりしていません。
※「萬子(マンズ)」「筒子(ピンズ)」「索子(ソーズ)」は数字が書かれた牌の3種類で、一索には孔雀が描かれることが多くなっています
日本の言葉と人をめぐる話
麻雀は日本に根づく過程で、言葉や人のエピソードをたくさん残しました。
打ったことがない人にも身に覚えのある話が続きます。
5. 日常語にひそむ麻雀用語
麻雀を打たない人でも、麻雀から来たとされる言葉を毎日のように使っています。
慌てて余裕がなくなる「テンパる」は、あと1枚で上がれる状態を指す聴牌が動詞になったものとされます。
会合の顔ぶれを指す「メンツ」は3枚1組の牌の組み合わせである面子、無難な選択を指す「安牌」は捨てても危なくない安全牌が由来です。
向かいの席を指す「トイメン」も、対面という麻雀用語からそのまま広がりました。
※「テンパる」については、英語のtemperを語源とする説を併記している辞書もあります
6. 朝だ徹夜だが筆名の由来
麻雀小説の代表作『麻雀放浪記』を1969年から連載した阿佐田哲也は、じつは直木賞作家の色川武大と同じ人物です。
この変わった筆名について本人は、麻雀で徹夜を繰り返して「朝だ、徹夜だ」と言っていたことに由来すると語っています。
ふざけた響きの名前ですが、色川は本名で書いた小説『離婚』により1978年に直木賞を受賞しました。
麻雀の世界では雀聖と呼ばれ、戦後の麻雀文化を作った一人として今も名前が挙がります。
7. 元総理が取った麻雀の特許
のちに総理大臣となる菅直人は、東京工業大学の学生だった1973年に「麻雀の点数計算機」で特許を取っています。
麻雀の点数計算は役や符の組み合わせが入り組んでいて、初心者がつまずきやすいところです。
それを機械にやらせてしまおうという発想だったわけです。
権利そのものはすでに消滅していますが、政治家になる前の学生が残した発明として、今も麻雀好きのあいだで語り継がれています。
出典:日本弁理士会(公式サイト内の紹介記事)
8. 賭け麻雀をしたら即クビ
2018年に発足したプロ麻雀リーグのMリーグでは、選手が賭博行為に関わることを固く禁じており、関与が確認されれば即解雇という厳しい規定が置かれています。
麻雀を賭け事から切り離し、競技として見せるための線引きです。
同じ発想は健康麻将にもあり、こちらは賭けない、飲まない、吸わないの3つを掲げて高齢者を中心に広まりました。
1980年代後半に、ある雀荘から生まれたスタイルだといわれています。
※「健康麻将(けんこうマージャン)」は賭け事をしない麻雀の呼び名で、日本健康麻将協会は1988年に設立されました
海外と現代の麻雀事情
麻雀は日本だけのものではありません。
国が変われば遊び方も扱われ方もがらりと変わります。
9. 役が毎年入れ替わる米国式
アメリカの麻雀は、上がれる役の一覧が毎年入れ替わるという珍しい仕組みになっています。
1937年にニューヨークで発足した全米麻雀連盟が毎年新しい公式カードを発行しているためで、プレイヤーはそれを買って役を覚え直します。
カードは年に35万枚以上が注文されるといいます。
アメリカで麻雀が流行したのは1920年代からで、中国で覚えた実業家が英語版のルールブックを出し、Mah-Jonggという綴りを商標登録したことがきっかけの一つになりました。
※全米麻雀連盟は、ユダヤ系の女性たちによって作られたと伝えられています
出典:全米麻雀連盟(公式サイト)
10. 海外では一人遊びのパズル
英語圏でMahjongと聞いて、4人で卓を囲むゲームではなく、同じ絵柄の牌を2枚ずつ消していく一人用のパズルを思い浮かべる人は少なくありません。
このパズルは1981年に教育用のコンピュータ向けに作られたもので、1986年に『Shanghai』として発売されると約1000万本を売り上げました。
牌の絵柄を借りているだけで、遊び方のうえでは本来の麻雀とまったく関係がありません。
名前だけが独り歩きした例といえます。
11. 36年間禁止されていた中国
麻雀の生まれ故郷である中国では、1949年に賭博とともに麻雀が禁止されました。
解禁されたのは1985年で、その間およそ36年にわたって表向きは遊べない状態が続いたことになります。
ところがその後の扱いは正反対で、1998年には国家体育総局が麻雀を255番目の体育種目として認定したとされ、同じ年に81種類の役を定めた競技用の公式ルールも作られました。
賭け事として追放したものを、今度は競技として迎え入れたわけです。
12. AIが人間の上位者を超えた
運に左右される部分が大きい麻雀では、AIが人間に勝つのは難しいと考えられてきました。
ところが2019年に発表されたSuphxという麻雀AIは、日本のオンライン対戦サイトで最高位の十段に到達しています。
5760回の対戦から算出された実力の指標は8.74で、同じサイトの人間の上位者の7.46を上回りました。
ただしこれは特定のサイトでの比較であり、あらゆる麻雀で人間より強いと決まったわけではありません。
※「Suphx」はマイクロソフトの研究チームが開発した麻雀AIで、実力の指標は安定段位と呼ばれます
出典:Microsoft Research Asiaの研究チーム(arXiv、2020年)
まとめ
麻雀は中国で生まれたゲームですが、今の形になったのは幕末のころで、日本に届いたのは明治の終わりでした。
リーチのように日本で足されたルールもあれば、アメリカのように役が毎年入れ替わる進化を遂げた国もあります。
生まれ故郷の中国では一度禁止されながら、のちに体育種目として認められました。
こうして並べてみると、麻雀は一つの完成された遊びというより、渡った先々で作り替えられ続けてきた遊びだと分かります。
牌を触ったことがない人も、身近な言葉のどこかで麻雀と出会っているのかもしれません。