マチュピチュの雑学11選!発見時すでに住人が2家族
ペルーの山あいにあるマチュピチュは、世界でもとくに人気の高い遺跡のひとつです。
切り立った尾根に石造りの建物と段々畑が並ぶ姿を、写真で見たことがある方も多いのではないでしょうか。
ただ、その名前の由来や、いつ誰が何のために築いたのかとなると、まだはっきりしていないことがたくさん残されています。
近年の調査でくつがえった通説や、思いがけない事故の話もあります。
そんなマチュピチュにまつわる雑学を11個ご紹介します。
1. 発見された時すでに住人がいた
アメリカの探検家ハイラム・ビンガムが1911年7月24日にこの地へたどり着いたとき、山の上には農民2家族がすでに暮らしていました。
インカ時代の段々畑を再利用して作物を育てており、遺跡の中心部まで案内してくれたのは、その家の11歳の少年だったそうです。
2. 9年前に名前を刻んだ農民
ビンガムより9年早い1902年7月14日、地元の農民アグスティン・リサラガがここに到達し、三つの窓の神殿の壁に木炭で自分の名前と日付を残していました。
ビンガムも野帳に「リサラガは発見者」と記していたとされますが、その落書きは後に消させたと伝えられています。
※「野帳」は調査の現場で書き込みに使う小さな手帳のことです。
3. 本当の名前は別だった可能性
2022年にペルー文化省とイリノイ大学シカゴ校の研究者が学術誌で発表した研究では、インカ時代の本来の呼び名は「ピチュ」または「ワイナピチュ」だった可能性が高いとされました。
1904年の古い地図帳にも「ワイナピチュの遺跡」という記載が残っているそうです。
4. 都市ではなく皇帝の別荘という説
長らく謎の空中都市と呼ばれてきましたが、現在は皇帝パチャクテクのための別荘、つまり王家の領地だったという見方が有力です。
使われた期間は80〜100年ほどと短く、スペイン人の征服者が訪れた形跡はなく、植民地時代の記録にもほとんど登場していません。
※「パチャクテク」はインカ帝国9代目の皇帝です。
5. 太陽の処女伝説が生まれた理由
ビンガム隊の学者が「見つかった人骨は女性が男性の4倍以上」と報告し、ここは太陽に仕える処女たちの隠れ里だったという説が広まりました。
ところが2000年の再鑑定では男女がほぼ半々と分かり、アンデスの人々の小柄な骨格を女性と取り違えたとみられています。
6. 眠っていたのは各地からの使用人
2023年に科学誌サイエンス・アドバンシズに載った古代DNAの研究で、ここに埋葬されていた人々は帝国各地から集められた使用人だったと分かりました。
出身地は太平洋岸やアマゾンの低地などさまざまで、およそ3分の1にアマゾン系の血筋が確認されています。
※「サイエンス・アドバンシズ」はアメリカの学術誌です。
7. 工事の6割は見えない場所へ
アメリカの土木技師ケネス・ライトの調査によると、建設にかかった労力のおよそ6割は、基礎や地下の排水設備といった目に見えない部分に使われたとされています。
花崗岩の砕石を敷き詰めた排水の仕組みは、500年以上たった今もきちんと働き続けているそうです。
※「花崗岩」は「かこうがん」と読み、硬くて丈夫な石です。
8. 高山病になりやすいのはクスコ
高い場所と思われがちですが、マチュピチュの標高は約2430mで、実は玄関口となる街クスコの約3400mより1000mほど低い場所にあります。
そのため高山病で体調を崩しやすいのはむしろクスコ側だとされ、遺跡そのものより手前の街で苦しむ人が少なくないようです。
9. 返還まで100年かかった出土品
ビンガムがアメリカのイェール大学へ持ち出した出土品は、ペルー側が返還を求めた総数で4万6332点にのぼりました。
展示に耐えられる完全な形のものは300〜370点ほどとされますが、返還は実におよそ100年後の2011年3月に始まり、2012年末にすべて完了しています。
10. CM撮影で日時計が欠けた事故
2000年9月、ビールのコマーシャル撮影中にクレーンが倒れ、遺跡の象徴として知られるインティワタナという石の日時計の角が欠けてしまいました。
この出来事はペルー国内で大きな批判を呼び、2005年には操作していた人物に禁錮6年の判決が言い渡されています。
※「インティワタナ」は太陽をつなぎとめる石という意味だとされます。
11. 定員外の入場者が9万人以上
2026年8月にペルーの会計検査院がまとめた報告書では、2024年8月から2025年12月までの期間に、9万1836人もの人が定員に数えられないまま入場していたことが指摘されました。
入場者の定員は通常の時期で1日4500人、混み合う時期で5600人までと決められています。