クレオパトラの雑学11選!実はギリシャ系だった女王

クレオパトラといえば、絶世の美女として世界中で誰もが名前を聞いたことのある、とても有名な人物ではないでしょうか。

けれども彼女の本当の素顔は、私たちが思い描いているイメージとは少し違っていたのかもしれません。

実はエジプトの女王でありながらギリシャ系の家系だったことや、いくつもの言葉を操る大変な知性派だったことなど、調べてみると思わず驚く話がたくさん残されています。

そんなクレオパトラにまつわる雑学を11個ご紹介します。

1. 女王はギリシャ系の家系

クレオパトラはエジプトを治めた女王として広く知られていますが、その家系はギリシャのマケドニアにつながるプトレマイオス朝の出身とされています。

エジプトの王でありながら血筋そのものはギリシャ系だったと考えられていて、意外に感じる人も多いかもしれません。

2. 一族で唯一エジプト語を習得

クレオパトラの母語はギリシャ語でしたが、彼女は長く続いた一族の中でただ一人エジプト語まで学んだと伝えられています。

ほかにも複数の言葉を自在に話せたとされる聡明な人物で、外交や交渉の場面でもその語学力を大いに発揮していたと考えられているのです。

3. ピラミッドより後の時代

あの巨大なピラミッドが造られたのは、実はクレオパトラが生きていた時代よりもずっとずっと昔のことだとされています。

少年王ツタンカーメンとの間にも1000年以上もの大きな開きがあり、彼女は古代エジプトの長い歴史の中ではかなり新しい時代の人物だといえるのです。

4. 弟と結婚し共同で統治

当時の王家に古くから伝わる慣習にならって、クレオパトラは自分の実の弟であるプトレマイオス13世と結婚していたとされています。

その後にはさらに別の弟である14世とも結婚していて、表向きは弟とともにエジプトを治めるという形をとっていたと伝えられているのです。

5. 死因は毒蛇か毒薬か

クレオパトラの死の原因としては、アスプという名の毒蛇に自ら体をかませたという説が、古くから世界中で広くよく知られています。

ただし確かな証拠は何も残されておらず、実際には毒薬を使った自害だった可能性も、今なお多くの歴史家の間で根強く指摘されているのです。

6. 名は父の栄光を意味する

クレオパトラという名前には、父の栄光といった意味が込められていると考えられています。

プトレマイオス朝の王家では代々とてもよく使われていた名前で、彼女は実のところ7番目にあたるクレオパトラ7世だったとも伝えられていて、なかなか意外で面白く感じられます。

7. 学問にも通じた知性派

クレオパトラは美しさだけでなく、哲学や天文学、それに医学といったさまざまな幅広い学問にも深く通じていたと伝わっています。

当時としてはとても珍しいほど豊かな学識を持った知性派で、その聡明さこそが多くの人々を強く引きつけたのだろうと考えられているのです。

8. 本当の容姿はわからない

絶世の美女として今も長く語り継がれてきたクレオパトラですが、実際の容姿については意外にもよくわかっていないのが本当のところです。

当時のコインに刻まれている横顔を見ると、現代の私たちが思い描く美しさの基準とは少し違った印象だとも言われているのです。

9. ローマの政治を動かす

クレオパトラはローマの有力者たちと深い関わりを持ち、当時の世界でも強大な大国であったローマの政治にも大きな影響を与えていました。

カエサルの暗殺後にはその部下の将軍アントニウスと手を組み、なんとかしてエジプトを守り抜こうとしたと考えられているのです。

10. 彼女の死で王朝が幕引き

クレオパトラの死によって、およそ300年もの長きにわたって続いてきた名門のプトレマイオス朝は、ついに静かに終わりを迎えることになりました。

長く栄えたファラオの時代もここで完全に幕を閉じ、エジプトはやがて大国ローマの属州へと組み込まれていったのです。

11. 一族で名を重ねた女王

クレオパトラはプトレマイオス朝の最後の女王として、まさに激動といえる時代を最後の最後まで懸命に生き抜いた人物でした。

同じ名前を代々受け継いできた一族のとても長い歴史のいちばん最後に立った彼女の名は、今もなお世界中の人々に広く語り継がれているのです。

コメントを入力