カジノの雑学12選!時計を外せと頼んだのは客だった
まばゆい照明と、途切れない人の流れ。
カジノというと映画のような華やかな場面を思い浮かべますが、その中身は驚くほど細かい決まりごとでできています。
名前の由来はイタリア語の小さな家、地元の人が入れないカジノがあり、サイコロは半日ほどで引退します。
派手さの裏側にある歴史と工夫をたどると、まったく違う顔が見えてくるはずです。
そんなカジノにまつわる雑学を12個ご紹介します。
カジノはこうして生まれた
そもそもカジノは、どこでどうやって始まったのでしょうか。
名前の由来から、ラスベガスが街になるまでの道のりをたどってみます。
1. 語源は「小さな家」だった
カジノという言葉は、イタリア語で家を意味するカーサを小さくした形からきています。
英語に入ったのは1744年ごろで、当時は音楽や踊りを楽しむための公共の部屋を指す言葉でした。
賭博場という意味で使われ始めたのは1820年ごろからです。
一方、現代のイタリア語でアクセントのないカジーノは、田舎の別邸や色街の家、さらには大騒ぎや混乱を指す言葉として今も使われており、賭博場を指すときはアクセントを付けて書き分けます。
2. 仮面がないと入れない賭博場
1638年、ヴェネツィア政府はサン・モイゼ地区の館の一室を賭博場として認めました。
政府が公認した賭博場としては世界初とされ、リドットと呼ばれています。
客はバウタと呼ばれる仮面と三角帽を身につけることが決まりで、身分を隠したまま卓を囲みました。
ただし胴元役を務めた没落貴族たちは仮面を免除され、顔をさらして客を迎えたと伝えられています。
市民の破産が相次いだため、1774年に大評議会の決議で閉鎖されました。
※バウタは目と鼻の上を覆う白い仮面で、ヴェネツィアの祭りで広く使われました。
3. 地元の人は入れないカジノ
モンテカルロのカジノは世界中から客を集めますが、モナコ国籍の人は賭博室で遊ぶことができません。
1987年の法律で定められた決まりで、公務員や運営会社の社員も同じ扱いです。
もとをたどるとシャルル3世の時代にさかのぼります。
1861年に領土の大半を失ったモナコは、外国人を呼び込む手立てとしてカジノを開き、自国民は初めから対象外としました。
その収入で国庫が潤い、1869年には所得税が廃止されたとも言われます。
4. 元祖は西部劇風のホテル
ラスベガスといえばフラミンゴを思い浮かべる人が多いのですが、大通り沿いに最初に建ったカジノホテルは、1941年開業のエル・ランチョ・ベガスでした。
西部劇の世界を模した平屋づくりで、翌年にはラスト・フロンティアが続きます。
1946年12月に開いたフラミンゴは3番目です。
企画したのは映画業界誌の発行人ビリー・ウィルカーソンでしたが、建設途中で資金が底をつき、彼自身のギャンブル癖も重なって、出資者側に主導権が移りました。
カジノに挑んだ人たち
胴元を相手に、桁違いの勝負を挑んだ人たちがいます。
栄光も転落も含めて、記録に残った3人を見てみましょう。
5. 50ドルが4000万ドルに
1992年12月、アーチー・カラスという男が50ドルを持ってラスベガスに現れました。
友人から借りた1万ドルを元手にビリヤードやポーカー、サイコロ賭博で勝ち続け、およそ2年で4000万ドルまで増やします。
この連勝はギネス世界記録にも認定されました。
ただし話には続きがあり、1990年代半ばまでに、彼はその全額を失っています。
増える速さも減る速さも桁外れだった、という記録の残り方でした。
6. 出入り禁止を裁判で覆した男
ケン・ウストンは証券取引所の幹部からプロのギャンブラーへ転じた人物です。
配られた札を数えて有利な場面を見極めるカードカウンティングを、変装や仲間との連携で使いこなして勝ち続け、1979年にカジノから出入り禁止を言い渡されました。
彼はこれを不服として裁判に持ち込みます。
1982年、ニュージャージー州の最高裁は、客を締め出す権限を持つのは州のカジノ管理委員会だけであり、カジノが自分の判断だけで客を締め出すことはできない、と判断しました。
※カードカウンティングは、配られた札を覚えて残りの札の傾向を読む方法です。
7. 未来の大統領との大勝負
柏木昭男は山梨県の実業家で、豪快な勝負ぶりから海外ではザ・ウォリアーと呼ばれました。
1990年2月、彼はドナルド・トランプが所有していたトランプ・プラザのバカラで、2日間に約600万ドルを勝ちます。
同年5月の再戦は、元手を倍にするか失い切るまで続ける取り決めで6日間におよび、1000万ドル負けたところでカジノ側が打ち切りました。
取り決めの額は双方の言い分が食い違っています。
その2年後、柏木は自宅で何者かに殺害され、事件は未解決のまま2007年に時効を迎えました。
※バカラは、配られた札の数字の合計の下1桁の大きさを競うカード遊びです。
客に見えないカジノの裏側
きらびやかな売り場の裏では、地味で細かい仕組みが動いています。
客席からは見えないカジノの内側をのぞいてみます。
8. 手をひらひらさせる理由
ディーラーが持ち場を離れるとき、両手を広げて手のひらと甲をひらりと見せる動作をします。
仕草のように見えますが、これはクリアリング・ハンズと呼ばれる決められた手続きです。
チップや札を手のひらに隠していないことを、天井のカメラと周りの係員に示すために行われます。
アメリカの複数の州では、この動作の手順そのものが規則として細かく定められています。
出典:オハイオ州行政規則3772-11-05など
9. サイコロは半日で引退する
カジノのサイコロは半透明のセルロースアセテートという樹脂でできていて、一辺は標準で約19ミリ、角や面の精度は1万分の5インチ、およそ0.013ミリまで整えられています。
1つずつシリアル番号と店のロゴが刻まれ、5個1組で番号をそろえて使います。
それでも出番は4〜8時間ほどで、多くは係員の交代に合わせて引退します。
退いたサイコロは穴を開けたり傷を付けたりして無効の印を刻まれ、その後は土産物として売られることも少なくありません。
10. 昔は人が天井裏にいた
カジノの天井に並ぶ監視カメラは、空の目と呼ばれます。
ただしカメラが広まる前は、文字どおり人の目が使われていました。
天井裏にはキャットウォークという細い通路が張りめぐらされ、係員がその上を這いながら、鏡張りのパネル越しに客席をのぞき込んでいたのです。
当時を知る人の話では、薄暗いうえに足を踏み外す危険もあり、アスベストまみれだったとも言われます。
この役目は1970年代ごろから、少しずつカメラに置き換わっていきました。
11. 時計を外せと言ったのは客
カジノに窓と時計がないのは、客に時間を忘れさせるためだと語られてきました。
ただしカジノ設計に長く携わったビル・フリードマンは、時計を外してほしいと求めたのは本気で勝負したい客のほうだったと証言しています。
時間を気にせず勝負に没頭したい、という理由だったといいます。
1990年代以降は逆の考え方も広まり、1998年に開業したベラージオは高い天井と見通しのよい造りを取り入れ、大きな利益を上げたと言われます。
12. 奪ったチップが1時間で無価値
2010年12月、ヘルメットをかぶった男がベラージオのクラップス台から、約150万ドル分のチップを奪ってバイクで逃げました。
ところがカジノ側の動きは速く、1時間以内にチップを新しいシリーズへ入れ替え、高額な2万5000ドルのチップそのものを廃止します。
古いチップの換金期限も約4ヶ月後に区切られました。
換金の手立てを失った犯人は、買い手を探すうちに足がつき、翌年に有罪判決を受けています。
※クラップスは、2個のサイコロの出目を予想するカジノの人気ゲームです。
まとめ
カジノの語源はイタリア語の小さな家で、政府が公認した最初の賭博場では仮面をかぶることが決まりでした。
モナコの国民は今も地元のカジノで遊べず、サイコロは4〜8時間ほどで役目を終えます。
こうして並べてみると、華やかに見える場所ほど、疑いを生まないための細かい手続きを積み重ねてきたことが分かります。
誰を迎え、誰を遠ざけるのか。
その線引きの歴史が、そのまま今の決まりごとに残っているわけです。
カジノを扱った映画を見るときは、天井やディーラーの手元にも目を向けてみてください。