平安時代に関する豆知識
平安時代は、794年に桓武天皇が平安京(現在の京都)に都を移してから、1185年頃に鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を指します。
「鳴くよウグイス平安京」の語呂合わせでおなじみですね。
中国の影響から離れ、国風文化と呼ばれる日本独自の華やかな貴族文化が花開いた時代です。
ひらがなやカタカナが生まれ、紫式部の源氏物語など、現代にも残る数々の傑作が生み出されました。
今回はそんな平安時代についての雑学を11個紹介します。
1. 長すぎる髪が美人の絶対条件
平安時代の貴族女性にとって最も重要な美の基準は、自分の身長よりも長く伸ばされた美しい豊かな黒髪を常に維持し続けることでした。
膨大な髪を洗って乾かす大掛かりな作業には丸一日かかるほど大変で、多くの女房に手伝わせる生活そのものが高い身分の証拠でした。
2. お風呂は月に数回のサウナ方式
現代のようにお湯へゆっくりと浸かるお風呂の習慣はなく、貴族たちは蒸気を浴びるサウナのような「蒸し風呂」を常に利用していました。
しかも毎日入浴するわけではなく月に数回程度しか入らないため、香を焚き染めた衣服を着ることで体臭を上品に隠していたのです。
3. 顔の白さと「お歯黒」「引眉」がトレンド
当時の貴族たちは白粉(おしろい)で顔を真っ白に塗りつぶし、本来の眉毛を全て抜いてから額の上の高い位置に丸い眉を描く「引眉(ひきまゆ)」が基本でした。
さらに鉄漿(かね)と呼ばれる液体で歯を真っ黒に染める「お歯黒」も欠かせず、暗い室内でも顔立ちをはっきり見せる工夫だと言えます。
4. 結婚は男性が女性の家に通う「通い婚」
当時の夫婦は結婚後も同じ屋敷で一緒に暮らさず、夫が妻の住む実家へと夜な夜な通う「通い婚」のスタイルが一般的でした。
男性は暗い夜道を歩いて女性の家を訪れて共に親密な時間を過ごし、朝になると他人に見られないよう自分の家へ帰っていたのです。
5. 貴族の食事は豪華に見えて栄養失調気味
貴族の食卓には高く盛られた白米や乾燥させた魚介類など豪華な品が並びましたが、新鮮な野菜はとても少なかったと言われています。
ビタミンなどの栄養素が慢性的に不足していたため脚気(かっけ)などの病気にかかりやすく、実際の健康状態は良くありませんでした。
6. リフティングの達人がモテる「蹴鞠」
「蹴鞠(けまり)」は鹿の革で作られたまりを地面に一切落とさないように足だけで蹴り合い、優雅な所作を楽しむ当時の代表的なスポーツでした。
勝敗を決めることよりも、いかに美しく長く蹴り続けられるかが重要視され、蹴鞠が上手な男性は女性からも人気を集めました。
7. 政治にも深く関わっていた陰陽師
安倍晴明に代表される「陰陽師(おんみょうじ)」は単なる占いや呪術を行うだけでなく、国家の重要な意思決定にも影響を与えるほど特別な存在でした。
引っ越しや外出する日時の吉凶を占ったり恐ろしい怨霊を鎮めたりと、貴族の日常生活や政治活動において不可欠な人物でした。
8. 牛車による駐車トラブル「車争い」
当時の貴族にとって主な移動手段は「牛車(ぎっしゃ)」でしたが、お祭りなど大きな行事がある日は良い見物場所をめぐる争いが頻繁に起きました。
牛車同士が激しくぶつかり合う駐車トラブルは「車争い」と呼ばれ、有名な『源氏物語』の中でも印象的な場面として詳細に描かれています。
9. ひらがなの誕生と女性文学の開花
漢字を崩して作られた「ひらがな」が広く普及したことで、女性たちが自分の感情や日常の出来事を自由に表現できるようになりました。
この新しい文字の発展により、『源氏物語』や『枕草子』といった日本文学の歴史に輝く優れた女性文学が次々と生み出されたのです。
10. 貴族の仕事は昼には終わる
貴族の朝は早く日の出とともに起きて宮中での仕事に向かいましたが、その業務の大半は午前中のうちにあっさり終了していました。
午後は蹴鞠や音楽を楽しんだり和歌を詠んだり恋人の元へ通ったりと、現代人もうらやむほどに自由な時間を存分に満喫していたのです。
11. 平均寿命は30歳前後だった
このような華やかで優雅な生活を送っていた貴族たちですが、当時の全体的な平均寿命はわずか30歳前後と非常に短いものでした。
乳幼児の死亡率が極めて高かったことや、現代のような医療技術が全く発達していなかったことが、寿命を大きく縮めていた主な原因なのです。